
ライブドアブログで月間3000万PVを記録した漫画家のゆっぺさん(@yuppe2)。彼女が描いた『親に捨てられた私が日本一幸せなおばあちゃんになった話』は、戦前から生きる祖母・キヨさん(取材時92歳)の幼少期からの実体験を漫画化し、大きな話題を呼んだ。
本稿では、キヨさんが高等小学校卒業後に工場で寮生活を送った、当時の思いを語ってもらう。
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「気楽で夢のよう」だった工場生活


キヨさんは、工場への就職を決めた理由について、「もう家にいることに耐えられなくて、戻らないつもりで家を出ました」と語る。農作業の繁忙期である8月に家を出たが、「今、振り返ると義姉さんはよく出してくれたなと思います」と述懐する。
工場での生活は不慣れだったが、キヨさんは「とっても気楽でした」と振り返る。「働く時間が決まっていて、あとは何をしていてもいい。叔母さんの家でしたことなかったので、こんな気楽なことでいいのだろうか?と思うくらい気楽でした」と話す。朝食は自分で炊いたものの、「昼と夜のご飯もお風呂も会社の寮の人が用意してくれるんですよ?夢のような生活でした」と、当時の喜びを表現した。
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「嫁入りのためにお金がない」と思われないための帰郷
せっかく家を出たのに、なぜ叔母の家に戻ったのか。キヨさんは、義姉からの手紙で畑仕事を一人でこなしている様子を知り、「義姉さんが大変な思いをしていると思ったら、かわいそうになってしまって…」と、義姉への気遣いから帰郷を決意した。
さらに、「もう19か20歳になっていたので、そろそろ嫁入りの年ごろ。工場に働きに出ると、あの家は嫁入りのためのお金がないから私を働きに出したんだと周囲に思われたら、叔母さんたちも困るだろうとも思ったのです」と、周囲の評価を気遣っての行動だったことを明かした。
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「結婚すれば完全に家を出られる」と決意
叔母の態度は2カ月で元に戻ったが、「私も外の世界を経験して大人になり、少し強くなったので反抗するようになった」という。「そうすると、少し気が楽になりました」。その後、義姉さんが見つけてくれた近所の工場に通うようになったキヨさんだが、「食事の際には叔母さんと顔を合わせないといけない。だから、結婚したいなと思いました。結婚すれば、完全に家を出られますからね」と、結婚への切実な思いを抱いた。
振り返ると、子育ての経験ができたのは良かったとキヨさんは語る。「子どものオムツ替えや、病気の時の病院も全部義姉さんの子どもで経験していたから、自分の子育てで困ったことになってもすぐ対応できたんです」。最後に、「叔母さんのところにいるよりもマシでした。旦那には反抗できましたからね」と、自らの強さをにじませた。
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