「今夜が山です」と医者に言われて親族一同が病院に集ったが、目を覚ました祖母。「ばあちゃんまた死ねなかったんだね。神様から嫌われすぎ」と孫に言われるほど“最強おばあ”みや子さんは、何度も死の淵をさまよっては復活した!きよまろさん(@sobomiyako98)の『祖母・みや子100歳~年を取るって楽しく愉快だ!~』を紹介するとともに話を聞く。
「今夜が山でしょう」親族一同が病院に集結→復活すること3回以上!何度も蘇る理由を聞くと?【作者に聞く】

「今夜が山でしょう」と言われ、復活すること3回以上!
何度も死にかけているという祖母・みや子さん。目を覚ますたびに安堵する家族だったが、3回を超えると逆に生命力の強さに驚かされるようになった。「生きているかぎりは元気いっぱいの祖母でしたので、最初に『危篤』と聞いたときは、家族は大変驚いて取り乱しもしました。が、3回目には『オオカミ少年』ならぬ『オオカミオバァ』と言われるまでになりました」と、笑い話を語る。
「ですが、漫然と『元気だから死なない』と思ってきた家族も祖母が生死をさまようたびに『人はいつか死ぬもの』『死はいつも近くにある』と心の準備を重ねるようになりました。家族それぞれが命という不確かなものを意識することができたのは、祖母の生きざまのおかげですね」と、きよまろさんは何度も危機を乗り越えたときの気持ちを語った。
みや子さん曰く「三途の川も値上げをして、六文銭では渡れなくなった」のが原因だとか。息子が賽銭にと一万円を握らせると、今度は「病院飯はおいしくないから、これで特上寿司を買ってきてほしい」と言い、倒れたあとも食欲旺盛だった。口癖は「『年のせいにして自分から“できない理由”にするのは好きじゃない』と、よく言っておりました。『病は気から』と言いますが『齢(よわい)は弱いになりやすい』。自ら老いに縛られることがないように気を付けていたのは印象的です」(きよまろさん)
そんなみや子さんが入院中に自ら立てたケアプランは、「ポータブルトイレの使用は断固拒否でしたので、まずはトイレに行けるようになる!でした」。ケアマネジャーなしで、退院後は訪問リハビリで日常生活動作をメインに練習、歩行器や手すりなど福祉用具を介護保険でレンタル、週2回デイサービスで入浴と運動の時間を設け、自宅でも自主トレに励んだという。「退院直後はトイレ移動にヨーコ(筆者の叔母)が介助を行っていましたが、3カ月後には一人でトイレに行けるようになっていました」。みや子さんの意志の強さは、生命力の強さにも感じられる。こうして「自分らしさ」を追い続ける姿は、歳を重ねていく我々に勇気と導きを与えてくれる。
取材協力:きよまろ(@sobomiyako98)
※記事内に価格表示がある場合、特に注記等がない場合は税込み表示です。商品・サービスによって軽減税率の対象となり、表示価格と異なる場合があります。